「悟り」とは、〈私〉の本性を思い出すこと!

 

「悟り」というと、ブッダが行ったように、この世のあらゆる執着から離れて、出家し、人生をかけて苦行をしなければいけないと思われる方も多いのではないでしょうか?

 

一般的に「悟り」は、痛みや困難が伴い、ようやく到達できる境地というイメージがあります。

 

このように、「悟り」の偏ったイメージばかりが先行して、多くの方にとって敷居が高く、一部の求道者のみのものとして受け入れられてきました。

 

確かに、自分自身だと思い込んでいた自我を解体し、手放すことは苦痛を伴う場合があり、それが困難なイメージに繋がっています。

 

しかし、本来の自分を忘却し、外側の現実に合わせて創り上げてきた習慣、癖(自我)を自分自身だと思い込み、それを必死になって掴み、確信が持てないまま迷いながら生きることほど苦しいことはないのです。

 

ですから、本来の自分を思い出すという「悟り」は、すべての人が潜在的に求めていることなのです。 

 

誰もが欲している、愛、信頼、安心、幸せ、喜びというものが、実は、外側にあるのではなく、〈私〉の中に既にあるということが、〈私〉の本性を思い出すことによってわかるのです。